「ニッポン画」とは
一、今現在の日本の状況を端的に表現する絵画ナリ
一、ニッポン独自の「笑い」である諧謔を持った絵画ナリ
一、ニッポンに昔から伝わる絵画技法によって描く絵画ナリ
私は日本画ならぬ「ニッポン画」というものを描いています。それは日本の昔の絵画を現代の視点で再構成したものです。
私には、現代の日本の生活はとても多層的で混沌としているように感じられます。
縄文の情熱、弥生の素朴な均整、奈良の祈り、平安の雅、鎌倉の質実剛健、室町の花、安土桃山の豪壮、江戸の太平と粋。これらは中国を中心とした東アジア文化圏と、ときには密接に、ときにはゆるやかに連動しながらはぐくまれてきました。そしてその後開国による西洋文化の流入がはじまり、さらに文化は多層的な性質を帯びていきます。明治の文明開化と大正のロマン、昭和の経済成長、そして平成の混沌。
その一つひとつの価値観はそれぞれに断絶しているように見えながら、実はずっとゆるやかに繋がっているのです。
近代建築であるはずのマンションに、申し訳程度とはいえ和室を作ってしまう感覚。逆に和室でも暮らし向きに合わせてテーブルを置いてしまえる室礼。桜が待ち遠しいのに、いざ咲いたらブルーシートを引いてしまう心。和食屋にも洋食屋にもある「トンカツ」というメニュー。カレーとラーメンが国民食のようになっていること。コンビニでおにぎりとサンドイッチが隣にならんでいること。「とりあえずビール」なのに「それじゃ熱燗」と言ってしまうこと。花火の日、彼女は浴衣なのに自分はTシャツなこと。朝パン、昼パスタでも夜はご飯とみそ汁なこと。高温多湿なのにネクタイをしていること。それなのにあらためてクールビズと言ってみること。ジーパンを履いて畳の部屋でソファーに座って緑茶を飲むこと。漫才のステージの後に松が描いてあること。パソコンに筆で書いたようなフォントがあること・・・。
昔は日本画に対する否定やアンチテーゼ、もしくは近・現代文明のパロディーとして自分の作品を描いていた時期もありました。
しかし今の私にはこの現在の混沌が愛おしい。
そんな私は今日も着物にスニーカーを履いて街を闊歩し、墨を擦って「ニッポン画」を描くのです。
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